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#35 2010.4.2 - 4.11 35mm カラー 16×20in. 29枚
「影を撮む」とは、「撮影」を読み下しただけの単純な題名です。しかし、そもそも撮影という言葉じたいが、実のところ奇妙なニュアンスを持った言葉なのです。 たとえば、中国語では写真または映画をとることを「摂影」と表記しますけれども、これはフランス語の"prise de vues"か、或いは英語でほぼ同義の"take a picture"の訳語と思われます。 摂=テイク、影(風景)=ピクチュアというふうに、素直に直訳している中国に対して、当時の日本人が、フランスから新しくもたらされた写真術に、わざわざ「狐に撮まれる」「鼻を撮まれてもわからない暗闇」に使われる字をあてたのには、なにか特殊な意味合いをそこに込めたかったのだろうかと思えてなりません。 昔は写真にとられると魂を抜かれると一般に広く信じられていた、とはよく見聞きしますが、これは当時の湿版写真が低い感光性しか持っておらず、苦しい姿勢での長時間露光を強いられた為だと思われます。また、漢和辞典を引くと、「撮」の字は戦場で倒した敵の首級をあげる替わりに、簡便に死体から耳を切り取っておくという残酷極まりない意味を、もともと持っているようです。 ここに至って、僕がなんだか禍々(まがまが)しい意味合いを無理やりに写真に込めようとしているように思われるでしょうが、そんなことはなくて、ただ単純に、写真が写ることの不思議を、眼が見た事物と写真機によって写しとられた物のあわいに生じる微妙なズレみたいな感覚を、初めてカメラを持った日に立ち返って味わいたいという、ただそれだけの意思表明なのです。 宮沢豪 |
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