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2014.11.7 - 11.16
関薫 Seki kaoru

きざはしを超える

35mm モノクロ 10×12in. 23枚
せきかおる・略歴 >>


 

わたしはここ数年、撮影場所を決めてどこかへ行くというようなことはほとんどしていません。いつもカメラを持ち歩き、出先で気になったところがあるとパシャ、仕事の空き時間にパシャ、といった撮影スタイルがもっぱら定着しています。
わたしは仕事(写真関係ではありません)柄いろいろな場所へ行きます。もちろん仕事をしに行くのでいつもどこでも写真が撮れるわけではありませんし(撮ろうと思えば撮れることが比較的多いですが)、心ひかれる対象に出会えないこともあります。そしてその多くの場所を見て知ることができることと、あわよくば撮影もできること(決してほめられたことでないのはわかりますが、仕事をきっちりこなすことが大前提で、その上良い写真も撮れたときなどは得した気分になれます)が今の仕事を続けていられる理由の大部分を占めています。
今回展示する写真は前回の展示(「眩む日」2014.5.6〜5.18 >> )前後から10月までの約半年間に撮影された写真で構成されてます。

タイトルにある‘きざはし’ですが、語源を調べると「きざ」は「きざ(刻)」で、きざみつけた筋、きざみめという意味です。「はし」は「はしご」や「橋」の「はし」と同じくかけ離れたところに渡すものを表す「はし(階)」とあります。漢字1文字で「きざはし(階)」と書くことから階段や梯子、階層や段階という意味にも取ることができます。つまり「きざはし」とはきざみめを入れ手や足を掛けやすくし、今いる場所とは高さの異なる別の場所へと行くための仕掛けであり、段階や階層といったある基準によって区切られた上下の順序やその重なりであると言えます。
わたしはこの意味を受け、普段わたしがしている写真に関する一連の行為を思い浮かべ、それらを「きざはし」に関連付けしてみました。まず始めは被写体との出会いです。被写体はわたしに写真を撮らせるだけの何かを持っています。この被写体に表出する何かを手掛かりとしての「きざ」とします。きざを内包する被写体に出会ったあとは撮影、現像・プリント・展示と一連の行為は続きます。カメラは、シャッターを押し込むことによりかけ離れたところにある被写体との間にある距離を一気に奪い、その姿形を被写体から撮影者の元へと渡して取り込む装置です。それはまさしく「はし」といえます。そしてその装置を操り被写体を3次元から2次元の写真に変え、他者という隔たった場所にある存在へその写真を届け提示することのできる撮影者自身もまた「はし」とみることができるのではないでしょうか。少々強引なところがあるかもしれませんが、これで被写体と撮影者、そして写真をめぐる一連の行為が「きざはし」という言葉と結びついたのではないでしょうか。
被写体(かつての段階)は1枚の写真という次の段階へとその階層を変位させます。そしてそれらの写真を編むことで他の写真とコミットし、さらにもう一段上の高みへとその階層の限度を超えて到達することができます。写真を撮り、制作・展示を続けることでのみ今の段階を超えていけるのだと思います。


関薫

 

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