2013.7.26 - 8.4
新山発現 Niiyama hatsugen
sighting
6×7判 モノクロ 11×14in. 23枚
にいやまはつげん・略歴 >>
撮っている時は無我夢中だけど後から決まってやって来る考え。「なぜアレではなくコレなのか」「なぜカメラの場所はアソコではなくココなのか」「なぜアノ時ではなくコノ時なのか」。
「なぜ」に対する「なぜなら」という答えは常に前倒しされ続け「問い」だけがなされ続けていく。
ところで「世界=写真」と言わんばかりの昔の写真を前にすると、それらに対する答えは既にとっくの昔に出ていたような気になりゾッともする。
モノゴトに対しそれらが際立つように、距離なりタイミングなりを測っていてもあくまでも相対性において、でしかない。今更世界と写真との一致は望むべくもないのだけど、かつてそれは起った、という事実が幽霊のように張り付いて来るのも鬱陶しい。
ヒョッとして、そんな幽霊を撮ろうとし続ける事にのみ意義なり信義は可能なのではないか…。そんな勘違いに満ちたようにしか見えない、求心的にも遠心的にもなりようがない態度でダラダラやっていこうとは思う。
新山発現
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