2016.7.5 - 7.17
新山発現 Niiyama hatsugen
loose joint
6×7判 モノクロ 11×14in. 23枚
にいやまはつげん・略歴 >>
写真を撮ろうが撮らなかろうが世界はあってあり続ける。のだが、カメラを携えた時のみ現れる世界はある、という事に賭けてみる。例えば肉眼にフレームは存在しないしその時の気分や体調で風景の見えかたは異なるだろうが、いったんフレームに切り取られてしまうと見えている物事は強制的に記号化されてしまいどこにでもある何のへんてつもない風景にしか見えない。「日本はどこを撮っても同じだな。」そう言われた事があり、それが制度といえば制度なのだろう。それでは何のへんてつもない風景=素材を写すことで、そのようなフレームの強制なり制度なりを際立たせるような事があってもいいのではないだろうか。少しでも抗えただろうか、という写真を選んだつもりなのだがどうだろう。「世界のたがが外れてしまった。ああ、何と呪われた因果か。それを直すために生まれてきたのか。」という「マクベス」の台詞とまではいかないが、それまでの世界とは似ても似つかない姿に見えても弱々しくはあるが、ある別のたがを嵌めてみること。何か起きるかも知れないし何も起きないかもしれない。そんなout of joint ならぬloose joint であれば良いと思っている。一枚で世界を、全体を提示できた幸福な時代はとうに過ぎ去っているのだから。
新山発現
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