2017.5.16 - 5.28
林朋奈 Hayashi tomona
かかとの砂
35mm モノクロ 11×14in. 約21枚
はやしともな・略歴 >>
小学生の頃、同じ学校の仲良くしてくれていたおねぇさんから「なあ、知ってた?うちらほんまは姉妹なんやで」と言われた事があります。その時の事は今でもよく覚えていて、おねぇさんは友達を連れて来ていて、放課後、ウサギ小屋の前、ぶどうの木の下でした。私は今まで感じたことのない大きな不安に心臓をばくばくさせながら走って帰宅し、不安を紛らわすためなのかなんなのか家の網戸をひたすら撫でていたのを覚えています。
それから十数年。
父の還暦祝いであの時のおねぇさんと再会しました。
どうやら本当に姉妹だったようです。
彼女は「うちなんてこの世にいらん人間やとずっと思ってた」「ともちゃん私のこと姉やと思ってくれる?」と今にも泣き出しそうな笑顔でそんな事を言っていました。私は、あーあの時のやっぱりほんまやったんやあ。この人どんな気持ちで生きてきたんやろ。と彼女の人生を想像し胸に小石がひっかかったような苦しい気持ちになりました。
私は今とても平和な日々を過ごしています。
大好きな妹、ゲラゲラ笑って過ごせる友達、側にいてくれる恋人。年に2回は旅行にだって行けます。しかしどれだけ平和な日々でもふとした時、不安のなか網戸を撫でていた自分が現れます。私はどうしようもなくなり「大丈夫。大丈夫。今とちゃう。」と自分を慰める事に専念するしかなくなるのです。
いつか子供を産んだり、もっと歳を重ねれば、もうあの時の自分は現れなくなるのでしょうか。それともこの先も現われては私を不安にさせるのでしょうか。
写真を撮る事は、あの時網戸を撫でて不安を紛らわそうとした行為に似ているような気がします。私は何かで自分を支え、確かめ、依存しなければ息が出来ないのです。
いつか私が写真を手放す事があれば、それはもう過去からくる不安に左右されず、幸せにどっぷり浸っている時かもしれません。来るか来ないか分からないそんな時が来るまで私はしつこく写真を撮り続けるんだと思います。
林朋奈 |