2017.5.30 - 6.11
牟田義仁 Muta yoshihito
あるいくつかの涸れない井戸
35mm モノクロ 11×14in. 25枚
むたよしひと・略歴 >>
子供のころ家の近くに林があって、そこには、その先の小高い山に通じる獣道のような細く草木を分けた小道があった。その小道のゆるやかな勾配を登り終えると、澄みきった水に充ちた少し大きな池があった。友達やまわりの大人たちもあまり知らない、ささやかなお気に入りの場所だった。その池に行く途中、土壁の大きな家の廃墟があった。敷地内には堀井戸(或いは肥溜めだったのかもしれない。でも、匂いの記憶がないものだから、たぶん井戸だと思うのだ)があって、そこを通るたびに覗き込んだ。飽きもせず長い時間覗き込んだ。深くに見える小さな水面は僅かながらたえず蠢きつづけ、いろんな表情を見せてくれた。いつもそれに見入っていた。当時、その表面の揺らぎに何の疑問を持たなかったが、今思うとあんな深くに風の影響などあるとは思えず、ひょっとしたら水が湧いていたからなのかもしれない。あるいは・・・。
写真を撮るとき、往々にして何も考えていないコトのほうが圧倒的に多い。アッ、とか、オッ、とかのたぐいの感覚や感情がファインダーを覗かせ(覗かないときもあるのだけれど)シャッターを押させる。井戸の奥深く、穏やかだった水面が一瞬にして表情を変えたとき、それを覗き込んでいた私の動悸によく似ている。それは、撮ったあとの写真を見るときにも度々訪れる。で、写真のコトをするとき、たまにあの井戸のことを思い出すのだが、あれ以来、残念ながら堀井戸にはお目にかかったことはない。
牟田義仁 |