2019.4.9 - 4.21
林朋奈 Hayashi tomona
二つの光
35mm カラー 11×14in. 31枚
はやしともな・略歴 >>
最近、父が死んだ時の事をよく思い出します。
最後に会ったのは死ぬ一年前の夏。
父と、父の再婚相手。妹と旦那と私の5人。
築地でお寿司を食べました。
いつも通りしょーもないギャグばっかり言ったり、隣のおばちゃん団体に話しかけて、笑かしたり、うっさいおっさんでした。
ただ、もうその時には身体中癌まみれだった様で、視界が台形に見えて変やねん。と、笑って刺身と大好物のキリンビールを呑んでいました。
父が死んだ事を、私は人伝に知りました。
昔、父が経営していた土木会社で働いていた従業員が父の知り合いに連絡し、その知り合いが妹へ連絡してくれたのです。
この歳になっても喪服を持ってない私は、黒色というだけで選んだ服とフィルムをカバンに詰め込んで、三重へ帰りました。
式場に着いた私達姉妹は誰にも歓迎されませんでした。
父の妹にあんたらはなんもしやへんだ。お金を出したのはうちらや。あんたらなんで来たんや。
とうるさく言われ続け、再婚相手は、恨めしそうな、疎ましそうな、誰にも向けられた事のない目で私達の事を見ていました。
父はまだ骨になる前でした。
大好きなヤクルトスワローズの山田のユニホームを着て、つば九郎のぬいぐるみに囲まれ棺桶に収まっていました。
恐る恐る父のほっぺに触れたら、硬くて、温度がなくて、ザラザラで、こんなんパパちゃうやん。っていうかつば九郎ってなんやねん!ギャグかよ!!と、横たわってる父につっこみを入れました。
父にとって私達ってなんだったんだろ。
思い出してくれてたんかな?
会いたいって思ったかな?
まめに連絡してへんだうちらが悪いん?
だから、なんで来た。なんて言われたん?
怒りと後悔で頭がぼぉーとしていました。
なんて、つらつらと辛かったような事を綴っていますが、お葬式の帰り道に撮った妹の写真が本当に綺麗で、その写真を見た時、私は嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。
結局私はどんな事が起きても、写真になっていれば、それで納得してしまうんです。
それって、人としておかしい気がするし、ひとり納得して日々を送って、本当に自分勝手だな。と呆れてしまいます。
けど、カメラを持つと、何かないかと、ラッキーが落ちてないかと、カメラに手を添えてしまいます。
自分の表現に被写体を利用している。と罪悪感みたいなものはあるのですが、その罪悪感みたいなものも、自分勝手を肯定するための免罪符な気がするし、そんな自分嫌いだ。と思うのですが、それも自分を良い人に仕立て上げる嘘で、本当はケロッとしているのかも。
父が残してくれた遺産は23,500円でした。(少なッッ)
私と妹はそのお金でお揃いのネックレスを購入しました。
悲しい事にそのネックレスをすると私も妹も首がかぶれてしまうので、たまにしかつけません。
写真集出せるぐらいの金残せや!!と、悪態もつきましたが、ええ写真撮れたし、お揃いのネックレス買えたし(かぶれるけど)、パパ生き返らへんし、まあ、もぉええか。とやっぱり納得してしまう私がいるのでした。
林朋奈
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