2019.7.2 - 7.14
新山発現 Niiyama hatsugen
DRAFT
6×7判 モノクロ 16×20in. 23枚
にいやまはつげん・略歴 >>
起源はどうでもいい。写真はどこから来るのだろうか。
撮影する時というのは、できるだけ今まで見てきた写真や、自分が撮ってきた写真の記憶を拭い去るなり、自分の外に追いやるなりして、白紙状態で臨むようにしているつもりでいる。「記憶喪失」と言えば聞こえはいいかもしれないが。
完全な白紙状態は有り得ない。常にどこかしら染みなり汚れが介在している。
写真があって、わたしやあなたがある。わたしがあって写真があるのではない。そのことは喪失しようがない順序だろう。
大体シャッターを切る時は、「今ここで撮れ。」という命令が被写体から発せられているような気がする。被害妄想的であるかもしれないが。
どんなに拭い去ろうとしても、拭い去るという行為が汚れなり染みなりを産み出していく。もはや写真以前には戻れずにひたすら次の写真へと差し戻されるしかないのだろうか。
それは10枚皿を数えても1枚足りない…とまた1から数え直す行為を繰り返す「番町皿屋敷」のお菊の行為のようなものかもしれない。
かつてはあった10枚目の皿はもう無い。
写真は一体どこから来るのだろうか。
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