2019.11.12 - 11.24
林朋奈 Hayashi tomona
自由な体
35mm カラー 11×14in. 28枚
はやしともな・略歴 >>
私は、今まで自分が撮ったモノに対して何故そこに視線を向けてしまうのだろう。と深く考える事をしてきませんでした。
ハッとなったから撮っただけ。そんな感覚的な事を言葉に出来るわけないやん。と思っていたし、自分の写真を見ても自分が何をやりたいのかいまいち分かりませんでした。しかし、今回撮れた写真を見ていると体躯、皮膚感、光に露骨に反応していて、さすがの私も自然と何故自分がそこに視線を向けているのかを考えるようになりました。
お恥ずかしい話なのですが、私の左腕には無数の切り傷があります。10代、思春期を大爆発させていた頃に自らつけた傷です。初めて切った日の事なんて覚えていませんが、気がつくと私は毎日腕を切るようなっていました。
あの頃は、自分が生きて存在している事が気持ち悪くて仕方ないし、家では親が下世話な喧嘩しているし、学校ではヤンキーギャルにビンタされるし(ヤンキーギャル……)どこにいても何をしていても、心と体が解離しているような現在地不明なような状態でした。
けれどリストカットをしている時だけは、心が安らぎ、自分の存在を実感し、こんな私でも生きていていいんだ。と自分を許す事が出来ました。
そんな傷だらけの左腕だからか、15年以上経った今でも電車に乗る時や仕事中など公共の場ではとっさに腕を隠してしまいます。
自意識過剰かもしれませんが、突然傷だらけの腕が目に飛び込んできたら嫌な気分になる人もいるだろうし、あの人病んでる。と思われるのも悲しいし、何より自分自身が「恥ずかしい左腕」だと、そう思っているのだと思います。
人の視線って案外単純なもので、靴が欲しいと靴に目が行くし、今日のメイクいまいちやわ。と思うと他人のメイクに目が行くし、日々感じて意識している事がダイレクトに視線へと繋がっていると思います。
シャッターのきっかけは、日々の意識の積み重ねの一瞬なのかもしれません。
私の視線には個人的なコンプレックスや、罪悪感が常に含まれています。
その視線の先に光が刺した時、私はもうどうしようもないぐらい写真を撮ってしまいます。
そしてその視線が写真として成立した時、今の自分が過去の自分に手を差し伸べているような、救われたような、そんな気持ちになります。
リストカットをしていた10代。
過ぎ去った過去のように思える出来事ですが、今の私も過去の私も同じ場所に立って日々を送っているようです。
最後に腕を切ったのはいつだったっけなあ。
初めて切った日の事を覚えていないように、最後に切った日の事も覚えていません。
いまだに心がざわめいた日は無性に腕を切りたくなりますが、もうそんな体力ないし、またハマるのイヤだし、寝れば元気だし、写真も家族もあるし。
今の私がそんな風に思えていれば、同じ場所に立ち腕を切っている過去の自分も少しは気が楽になるはず。そんな事を思いながらカメラ片手に日々シャッターを押しているのです。
林朋奈
「原美樹子さんをお招きして
ギャラリートークを開催します by 林朋奈」
終了しました。
ご参加くださった方、 ありがとうございました!
ご縁を繋いでいただいて、
原美樹子さんとギャラリートークを開催する運びとなりました。和気あいあいとした場になればいいなあ。と思っています。お気軽にご参加ください(持ち込み大歓迎です!林、最近得意なだし巻き卵作ってきます!!)。 開催日:2019年11月22日(金) 19:00〜
参加費:無料 定員20名(要予約)メールにて受付中
info@3rddg.com
会 場:サードディストリクトギャラリー
東京都新宿区新宿3-8-9 新宿Qビル4F |