2021.10.19 - 10.31
宮沢豪 Miyazawa tsuyoshi
影を撮むー黄泉比良坂往還
35mm カラー タイプCプリント 16×20in. 21枚
みやざわつよし・略歴 >>
ー何日か過ぎたある夜明けに、突然私は自分の声にびっくりして目がさめた。何を云ったのか解らなかったけれど、恐ろしく大きな声だった。咽喉一ぱいに叫んだらしかった。しかし別に悲鳴をあげるような夢を見ていたのでもなかった。寧ろ、ぼんやり頭のどこかに残っている後の気持ちから云えば、何かに腹をたてて怒ったのかも知れなかった。もう夜明けが近いらしかったけれど、窓の色は真暗だった。そうして風の音もないしんしんとした闇の中に、季節外れの稲妻がぴかぴか光っていた。<内田百閒 「山高帽子」より抜粋。>
「手は変だよ。僕はあんまり好きじゃない。」と野口は言う。青地や従兄弟の慶さんのように、一度不思議だと思い始めると自分の手指すら異様なものだと感じる風になるのは、ひとたびレンズを通すと全てが別物に変わり果てる写真の持つある種魔力のような作用を思い起させずにはおられない。
百閒の小説中では青地が発狂する前に野口が自死によって彼岸へと旅立ってしまう訳だが、ここでまた写真に引き寄せて考えて見ると、存外わざわざ死なずとも生きながらにして黄泉比良坂を往還出来るのが写真なのでは無いだろうか。
もしもそういう状態になった時、写真家はいわば精神的な不死(死の恐怖からの解脱)が得られるのか、それとも青地のごとく精神に変調をきたしてしまうのか、どちらだろう?
2021年10月某日 宮沢豪 |