2021.11.2 - 11.14
柴田裕哉 Shibata yuya
椿抄
APS-C digital
カラーインクジェットプリント A3ノビ 22枚
しばたゆうや・略歴 >>
殺人、事故死、病死、テレビ画面の向こうや、携帯の画面、車から流れてくるラジオ。
人の死を、無機質なものたちが感情もなく、ひたすら正義感を振りかざし、伝えてくる。
僕たちは皆、人の死を身近に感じているはず。
こんなに身近に人の死が溢れているのに、人は流れ作業のように聞き流し、日常に戻っていく。
戦争でもないのに、人の死に慣れてしまっている世の中、自分がいる。
それを思うと時々恐ろしくなる。
想像し難い悲しみがそこここに蔓延しているのに、その中に通常の自分がいる。
自分がふわふわして存在の不確実さを実感する。
本当は死んでいるのではないか、
その中にいると、人の心まで無機質なものになってしまうのではないかと怖くなる。
つい最近までSNSというものと関わらない生活を4、5年ほど続けていた。
テレビのない生活も3年ほど続けている。
SNSは最近また始めた。
それでも無差別に流れてくる情報は、時に僕を否定し、他者の意識に強く引っ張られてしまう。
無機質な感情がそこにはある。
無機質が故に、自分の中のその感情の肥大化を抑えることができない。
肥大化したら最後、自分の細胞が尽きるまで、自分が自分を押しつぶしていく。
昔SNSを全部やめた理由を思い出す。
他者がいると自分の在り様を再認識せざるをえない。自分の置かれている場所を実感する。
他者と比較することでしか、自分を認識できないもどかしさがやっぱりある。
無機質なものと比べてもしょうがないと諦めるしかないのだけれど。
柴田裕哉 |