2023.1.31 - 2.12
柴田裕哉 Shibata yuya
So What ?
APS-C digital カラー
インクジェットプリント A3ノビ 20枚
しばたゆうや・略歴 >>
僕の父は若年性のアルツハイマーだ。
ここ最近、ますます記憶力が低下して、昔のことをどんどん忘れてきている。
僕や母、妹のことはまだ覚えている。それも時間の問題かもしれない。
年が明けて、秋田に住んでいる父と祖母に会いに行った。
夜に叔父が作ってくれたきりたんぽを食べながら
「そういえば、6月にKの結婚式に行ってきたよ。」
「K?誰だっけ?…覚えてない。」
「Kだよ?覚えてない?隣に住んでる子だよ。」
「ごめん。忘れちゃった。」
結婚式の写真を見せたけど父は思い出せなかった。
Kは僕の幼馴染で、1、2歳の頃からよく遊んでいた女の子だ。
家が隣だから、よく家族ぐるみで遊んでいた。
小さい頃のアルバム写真を見ると僕と彼女は大体一緒にいて、歳も同じだから双子の兄妹のような感じだ。
その彼女のことさえも父は忘れてしまっていた。
もし父がKのことを覚えていたら、彼女の結婚式の写真は僕と父とKの記憶の共有としての思い出写真になっただろう。
そのつもりで見せた写真がそうはならなかった。
その写真は父にとってはただの記録でしかなかった。しかも数分後に忘れてしまうかもしれない記録だ。
「写真は記録である」っていう言葉がものすごく重くて冷たい言葉に感じた。
写真がこんなにも自分に牙を剥いてくるなんて思いもよらなかった。
記憶(思い出)は人間の勝手な都合の記録なんだと改めて実感した。
写真は無機物で人の都合などお構いなし。だから記録として成立する。
わかっていたことだったけど、これほど写真が冷酷であることまでは分からなかった。
父がKの事を忘れてしまった事で二人の関係は半分消滅してしまった。
父にKとの関係を証明する術はない気がする。都合上、記憶が戻ることはほぼないからだ。
もし父が僕のことを忘れてしまったら、どうやってその関係を証明すればいいのか。
写真で関係を証明することは出来るのだろうか?
大きくなって僕の容姿は変わってしまったから、小さい頃の写真は当てにならないかもしれない。
最近の写真ではどうか。それには父の承認が必要だろう。彼が僕のことを息子だと思える写真が無いとまず無理だろう。
でも写真は写っていることが全てで、表面的でしかない。
表面的な事で内実を知ることは難しい。
写真ではなにも真実を証明できない。と諦めるしか無いのかもしれない。
写真は真実を隠すことは出来るけど、真実を示すには脆弱すぎる。
認めたくない。
けど、「写真は記録である」ということは受け入れなければならない。
嫌だ嫌だと思っても、本質は人間の都合で変わらないのである。
写真を写真としてすることに少し怯えている自分がいる。
これから先、写真を撮り続けることが出来るのかという不安がある。
でもカメラを持ってしまえば、そんなことは忘れてしまう。
ある時は「だからなんだって言うんだ!」って思う。
でも父のことを思うと漠然と写真に対する恐怖がわいてくる。
父の写真を見ると涙が出そうになる。
写真を続けられるかわからない。
だけどとにかくカメラを持ってみようと思う。
柴田裕哉 |