2024.6.4 - 6.16
中島太郎 Nakajima taro
休みの国
35mm モノクロ ゼラチンシルバープリント
8×10in. 40枚、11×14in. 2枚
なかじまたろう・略歴 >>
終了いたしました。
三絃と尺八による演奏会を開催します!
藤田祥子(三絃)/藤田晄聖(尺八)
日 時:6月14日(金曜日)
開演時間:第1部 14時〜15時 / 第2部 18時~19時
料 金:2,000円 ワンドリンク付き
定 員:20名 要予約(mail:m33komimi@yahoo.co.jp
または tel:080-5173-0002 より)
休みの国について
この展示は1990年から1992年に当時西新宿の成子坂下にあった藤田進氏と尾仲浩二氏の
運営していたギャラリー街道での展示写真と早稲田大学大隈講堂2階ロビーにて行はれた展示写真で構成したものです。
当時のネガは失はれており、今回展示するのは当時の原板です。
蒼穹舎の太田通貴氏に長きにわたり保管して頂いた写真です。
私の最後の写真展は1992年7月に早稲田大学大隈講堂2階ロビーでの亡き関喜比古との二人展でした。
タイトルはインターリュード、中平卓馬と篠山紀信の決闘写真論のある章のタイトルから取りました。
関喜比古との二人展が終わり1週間後に私はパリに飛び、長い幕間の時間が始まったのでした。
関はその後、今のサードディスクリクトギャラリーの前身であるガレリアQを立ち上げ
彼の第二幕が始まったのでした。しかし…
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アパートの前は老舗デパートの食品館がある。道を渡って1分も掛からない。当然、毎日の仕入れはそこになる。
納豆、豆腐、味噌などの日本食品店に行かなければ手に入らない物をを除けば、必要な物は手に入る。
ワインコーナーも充実している。僕は、どちらかと言うとビール党。だいたいいつも同じ銘柄を買う。
その日は、いつものビールに加えて、飲んだ事の無いベルギービールの小瓶を1本買った。
その晩、何を食べたかは記憶に無いが、その日買ったビールは全て飲んだ。宵越しのビールは飲まねえよ。だったのだが。
深夜、電話が鳴った。
尾仲さんからだった。開口一番、「セ・キ・ガ・シ・ン・ダ」だった。
ラトビアでの楢橋の写真展に同行しているのではなかったのか。では楢橋も?と思った。
後で知った事だが、関は一人でバルト三国を南下し、リトアニアの首都ヴィリニュスからバスでベルリンに向かうはずだった。
混乱して「香典はどうする」などと、早合点な事を口走り、頭はブレイクダウン。
「これからという時に・・・」と呟く。尾仲にとっては手塩にかけた弟子を失ってしまったのだから、その心境を察するが、
何かしたくても何も出来ない。きっと今東京は大変な事になっているんだな。電話を切る。
長い事椅子に座っていた。廻らす考えも無かった。何か飲みたかった。
昨日買ったビールとワインは飲んでしまっていた。ウィスキーでも煽りたかったが強い酒はなかった。
あきらめつつも、冷蔵庫を開けてみた。
なぜか飲み忘れてしまっていたのだろう、良く冷えたベルギービールの小瓶が1本あった。
栓を抜きグラスに注ぎ、初めて飲むビールはどんなものかと少し啜る。
スグリのフレーバーのついたビール。美味いと思いつつ銘柄が気になりラベルを見た。
「Mort Subite」とあった。「突然死」。愕然とした。
俺は極めてリアルな悪い夢を見ているに違いない。そう願いたかった。
なぜ昨日、このビールを買わなければならなかったのか。しかも一本だけ。
関の身に降りかかる事故を何かが知らせていたのだろうか。
もし昨日、このビールに手を伸ばさなければ関は死ななかったに違いないと思い、自分を呪った。
思えば、パリに立つ1週間ほど前に彼と二人で「INTERLUDE」と題して写真展をやった。
意味するところは、芝居の幕間の寸劇だが、中平卓馬氏の「決闘写真論」の、ある章のタイトルから採っている。
それは僕にとって、長い幕間の始まりを、関にとっては、幕間が終わり新たな章の始まりを意味していた。
数年後に、彼は自身のギャラリーを持ち、精力的に写真活動を展開していたのだから。
僕はパリで、依然として長い幕間劇を演じている。いや、演じてさえいない。
しかし、彼の第二幕は突然降ろされてしまったのだ。誰しもいつかは幕が降りるのだが。
「そうかい関、分かったよ。あれも君の幕間だったんだな。また一歩僕たちを出し抜いたんだ。永遠を探求しにいったんだね。」
残りのビールをグラスに注ぎ、一息で飲み干した。
Adieu 関 ! |
休みの国の展示を亡き関喜比古と新宿に集った仲間たちに捧げる。
中島太郎
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